私は媚びない 特別扱いはしない
皆様、お疲れ様です。4月も後半になりましたね。京都の田舎もまた田植え準備で農作業などされてる方をよく目にする季節となりました。今日は仕事で少々意に沿わない事があったので書いてみたいと思います。以前も書いてますが葬儀関係の仕事をしております。私の性格上、名のある人だろうが、どこかの社長だろうが、議員さんだろうが、あまり関係ない。年下だろうが年上だろうが。人として接するのに肩書はあまり重要視せず、一人の人。人間として公平に接する方なのです。しかしうちの会社の中には、肩書でしか判断しない人が居る。今日も葬儀があった訳ですが、その喪主さんが昔うちの施設の管理職だった人だったらしいのですが、面識も無ければ名前すらしらない。私はどんな人であろうが平等にそして人によって手を抜いたり雑に扱うような事はしない。親族が多い家もあれば身寄りが無く施設の人が見送りに来てるだけの人だっている。でも一生を終えて色んな経験や苦しさや楽しさを経験して頑張って生きて来られたはず、人生の内容は違えどお疲れ様でしたとしっかり送ってあげるのが私の仕事。
根本は私はそういう気持ちで仕事をしている。金持ちも貧乏も関係ない。しかしうちの事務方の年配の女性は、今日の○○さんは以前ここの管理職だった人なので、施設の事も仕事の中身も全部良く知っておられる方なのでなんちゃらかんちゃらとワザワザ私がセレモニー始める前に言ってくる。私にすれば何を言ってるんだ・・・???
だから特別扱いしろということなのか?それとも常は雑で良いからこの人には特別丁寧に媚びでも売れと言うのか。私は常、真剣に平等に誰であろうがしっかり仕事してんだよ!人のなり見て態度変えたり手を抜いたりしてねぇよ。プライド的にカチンと来たが、そういう解釈とか考え方は人によって違うのでスル―しましたけど、人によって態度や接し方変える人が居るのも事実ですしそういう人なんだなぁと流すしかないんだろうけど、どうも私としては意に沿わない。私はこれからだって年下だろうが年上だろうが接するスタンスは変わらないし変える気は無い。お店の店員さんが若いお兄さんでも新人のお姉さんでも偉そうに言ったりはしない。逆にふんぞり返った年配の訳の分からない上司でも筋の通らん馬鹿な事いう奴には遠慮なく言わせてもらう。人の値打ちなんて肩書じゃないんだよ。年下だって貧乏だってちゃんとした立派な人は居る。年配だろうが大臣だろうが社長だろうがクズも居れば馬鹿も居る。人間見る尺度が違う奴とは合わないなぁと思う事があった日でした。だから私は社会不適合人間なのかもしれない。
でも肩書のある人間に媚びた生き方はしたくないんだよなぁ~
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贅沢の感じ方が変わってきた
皆様お疲れ様です。4月も中旬になり入学、進学、就職など環境が大きく変わり大変な思いをされてる方も多いのではないでしょうか?慣れればなんとかなる人も、これは無理って方も居られるでしょう。頑張りや踏ん張りは大事だけど合う合わない限界というのもあるし、人其々なんでそこは自分が壊れないように気を付けて頂きたいなぁって思います。さて今回は、「贅沢の感じ方、価値観」が私は最近変わってきたなぁと感じている。若い時は友達と騒いだり出かけたり物欲だったりお金を使いまくるような贅沢が贅沢という感じだった。でも最近は仕事の拘束や人間関係のゴタゴタや鬱陶しい束縛など無い自由な時間が一番の贅沢だと感じるようになった。当然仕事しなきゃ収入もないので我慢や頑張りは日々ついてまわるのだけど休みの日は出来るだけフリーに好きに過ごすように心がけている。ダラダラ過ごすのも好きな映画観るのも当てもなく車でドライブしたりサウナでゆっくり汗流したりと拘束されない過ごし方が一番の贅沢だと思うようになってきた。自分なりの好きな時間の過ごし方=ストレスからの解放。以前はせっかくの休みなのだから何かしないと勿体無いとか誰かと過ごさないと充実出来ないような自分で勝手に決めつけていたようなところもあって自分で自分を窮屈にしていたのかもしれない。歳をとったってのもあるのかもしれないけど、夕焼けを見ながら車走らせたりのんびりとした時間が本当はこれが贅沢な時間なんだと思えるようになった。ぼんやりと静かな時間が過ぎるって以前は何もせず無駄に過ごしているだけのつまらない時間って感じだったのが今はこの何もない平和な時間こそが贅沢な時間なんだと。珈琲飲もうがテレビ見ようが誰にも文句言われない自由な時間は貴重なのだと。それも仕事して拘束されたり家のゴタゴタで用事が沢山あったりで好きになる時間て自分で作らなきゃ出来ないのだな。仕事も行かず家の事もやらず時間だけ作ってもまたそれはそれで贅沢な時間とはならない。贅沢は出来ないけど生活が出来るだけの収入。家のゴタゴタもある程度かたずけてからの自由時間があってはじめての贅沢時間となる。そう考えると自由な時間って貴重ですし時間って大事なのだと思う。最近やっと空の雲をぼんやりと眺めるような自然を直視するような時間の使い方が出来るようになってきたように思う。目では見えてても頭や心では見てなかったような。なんか損してたような・・・
もっと自由な時間を大切に楽しんでいこうと思う。
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仕事とはいえ心揺さぶられる時もある
暫し更新が途絶えてしまってる月のカケラです。最近は寒さも和らいできましたね。皆様お疲れ様です!体調の良い人もそうでない人も日々その人なりに頑張っておられる事でしょう。私は葬儀関係の仕事に就いて来月で1年になろうとしています。所謂おくりびとに属する人。全然立派な事はありませんが。日々次々と人生の最後を終えられた方の最後を見送っております。そして遺族の方と亡くなられた方が主役。私は淡々と旅立たれる方と遺族が最後のお別れをするお手伝いと時間を提供する仕事。だから私が感情に飲まれてはいけない。冷たく聞こえるかもですが他人事に徹しなければいけないのです。でも今日は流石に淡々と仕事をしてても辛かった。40歳の女性の死でした。子供さんも居て3歳の男の子と6歳の女の子。病気や事故でなく自殺だと後から知った。子供さんからすれば、お母さんが亡くなったのである。流石に3歳の子は「何でバイバイしないといけないの?」と状況や意味がまだ解らない状態。6歳の子は気丈に我慢して一生懸命頑張って最後のお別れの場に立ち会っている。最後のお別れで棺の窓を閉めた後、一生懸命、悲しさや涙を堪えて頑張ってたけど声を出して泣いてた。流石に私も貰い泣きしそうだった。色んな事情や状況、大人の都合や生き切るだけの踏ん張りが利かなかったのかもしれない。しかし子供にしてみたら親が亡くなるって本当に不安だろうし寂しいだろうし心の整理もつかないであろう。そう考えると仕事と割り切っていても涙が出そうになる。最後は泣いてしまったけど本当に良く頑張ってたなぁって思った。周りの親族も涙涙のお別れでしたけど、それ以上に頑張ってお母さんとのお別れをした女の子にこれから大変だけど頑張って生きるんだよって言ってあげたかった。当然仕事上、私情は挟めないので心の中で思いつつ終わった訳ですけど、やはり辛いです。だからその反面おくりびとは、遺族と故人に良い時間を提供しなきゃいけないと心から思う。
そして感情で動くのでない他人事に徹しなきゃいけないのだと。誰が亡くなっても辛く悲しいのだけど悲しむのは遺族や知り合い。おくりびとはお別れの時間を提供する仕事。ここをしっかり線引き出来ないとちゃんと仕事は出来ない。今は季節の変わり目で寒暖差の影響なのか凄く人が亡くなる。明日からもビッシリ仕事は入っている。最後のお別れが滞りなく良い時間になるように頑張りたいと思います。
皆様も寒暖差の影響で体調崩さないように気を付けて下さいね。
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人生は長い様ですが歳を重ねると一気に人生終盤に加速する
また週末は寒気が入る予報になってます。皆様お疲れ様です。まだまだ冬モードで体調イマイチという方も多いのではないでしょうか?毎度の事ながら収入の為に雇われが向かない私が日々仕事に行ってるわけですが。もぅ半ば諦めモードというかどうせ歳も歳だし働き口があるだけ幸せかと自分に言い訳しながら日が経ってるという感じ。若いうちは親も元気ですし自分自身も若いし興味のある事や仕事も後先考えず、どんどんやりましたし制限はあるものの好き勝手にやってきた。そして時間もゆっくり流れてた。
歳が行くと制限は多いし選択肢は無くなるし攻めるより守り中心になりそして時間の流れも早い一週間が淡々と過ぎて行く。10代や20代のあの日が過ぎる遅さはは何だったのだろうと思えるほど。そして中年と呼ばれる歳になれば年齢重ねるのが早い早い!
40の頃に「あぁもぅ人生半分終わったじゃん」まだ半分と思うかもぅ半分ぐらいしかないと思うかは人其々だと思うけど。人生は長いけどチャレンジ出来る年齢って45歳ぐらいまでなんだなぁって私の人生観ではそう感じました。職安の求人もですけど40歳位までなら選択肢も拾ってくれそうな所も有るには有りますが極端に40歳過ぎると減少する。結婚したり子育てしたり、そう考えると40歳位迄には生活が安定してないとどうにもならんのだなぁって思う。まして家族を養うような環境の人は大変な苦労されてるんだろうなぁ。私の様に根無し草のように水面漂うような人生になってしまったら、それなりに恥も外分もって感じですけど。しかし世の中、消費税や社会保険料とか後期高齢者医療費とか税金ばっか取られて生活回すのが何とかって人が増えて。困窮して自殺したり、そして若い人まで自殺する時代。少子化にもなるよね。自分自身食っていくのがやっとで家族増やしたり家買ったり家持だってトイレの修理だの給湯器の買い替えだの養育費だのって無理でしょ!現状維持するのがやっとって人も多いんじゃないでしょうか。それでチャレンジする年齢も限られて、本当に皆頑張ってるのに思うように行かない。まだ私は昭和人なので世の中が元気だった頃を子供時代に見てきましたが、その頃から見ると今の時代は将来に希望は持てないし若い人は現実的に先を見るとしんどいだろうと思う。人生思ってる程長くはない。歳いくと本当にどうにもならない。どから若い人にはチャレンジしてほしいし、合わない所で嫌々過ごす一年が本当に勿体無いと感じる。路線を変えるのは早いうちにと言いたい。我慢して嫌々でも定年まで完走出来ればそれはそれでOKですけどね。チャレンジ出来ない歳での路線変更は本当にしんどいのでタイミングは大事だと思います。
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仕事が嫌より人間関係が嫌であり疲れの原因は人である
皆様お疲れさまです。冬でありながら少し寒さが緩んでますね。
今回は私の尺度というか自分なりの感じ感覚で書いてみます。私の場合、色んな仕事も色んな人間とも関わってきました。結論は当然仕事は肉体労働とか夜勤や早出残業など仕事自体の肉体疲労は当然ありますが、何が疲れるって人間関係が一番堪える疲れる部分だと私は思う。当然ですよね。十人十色で職場という箱の中に性格も気性も違う奴が会社の風潮やルールの中で無理やり顔合わせてやってるのだから。偉くも無いのに偉そうな奴、人の失敗を責め立てる奴、人の噂や悪口言って優越感に浸る奴、上司や権威のある人に媚びる奴。他etc...特に私の場合は一匹狼気質が強いので我が道を行くタイプ。本心ではないが無理やり協調性という言い訳のもと自分を殺して合わせている(最低限)それがまた疲れる。好き放題好き勝手に人を貶し人を見下げて我が儘通してる奴は幾分は疲れもマシなのかもしれませんが。先日も少し気分悪いと感じる事があった。うちの会社の外見の写真を近くの新聞社が写真を撮りに来るという事だった。私はイケメンでもないしさわやかなタイプというより現場系のオッサンとか少し危なく感じる怖そうな印象があるかもしれない。案の定うちの馬鹿責任者が「午後から新聞記者が写真撮りに来るから表をウロウロしたりするなよ」わざわざ言ってきた。どういう意味だ?私が居るとイメージが悪いとか印象が悪いとでも言いたいのか???姿を見せるなという事だよな。そういう事を言うという事はそういう目で常に見てるって事だよな。
詰め寄る事も質問する気もないけど何か気分悪い。何かと見下げられてるような普通の人より下に見られてるような。私にしたらそういう責任者のお前が最低にしか映らねえんだ。上の奴に媚び、外面気にして、身だしなみも気にして(誰も見てねぇし)帰る時は訳の分からん臭い香水振りかけて。やめろ糞ジジイ阿保かコイツわ!!としか思わない。そして自分の失敗は人のせい。見下げてマウントとってくる。おまけに私の家の中の事までズケズケと言いやがる。この前も認知症のうちの母親の事まで言ってた。早く老人ホームに入れろとか、面倒見て貰える人を見つけろとか、確かにこの先そういう面でどうするか悩みでもあるが、お前に言われたくねぇし現状も分からん奴にどうこう言われる筋合いはない。それも他の人が休んだ場合、私も家の事などで休まれるのが困るからだろうけど、他の奴は良くて私は駄目なのか?そういう端々で見下げられてるというか差別を感じる。それでも飲み込んで黙ってはいるが目に見えない怒りが少しずつ溜まっていく。まだ耐えられる、まだいける。そうやって何度も何度も耐えてきた人生。最後に爆発して。これが私の人生のパターン。小出しにガス抜きが下手で見えないところで凄いストレスためて自分が病むか爆発するか。仕事は元々嫌ですけど人間関係はもっと嫌。収入の術が雇われってのが向いてないんだ。自分で収入得れたら全然違うんだろうけど。
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偉い人と偉そうな人
2026年になり1月中旬ですね。皆様元気にお過ごしでしょうか?
私は相変わらず仕事=収入の手段と割り切り妥協と義務感で日々仕事してる訳で如何に馬鹿になりつつ波風を立てないように社会適合人間な振りをし嫌な事や聞きたくない事もニコニコしながらスル―し本音や本気にならないように適当に流してやり過ごしている。新年も始まり(私は元旦しか休んでませんが)1月の9日だったか本社か支社か知らんけど偉いさん3人が新年の挨拶回りに来た。私は面識も無いし偉いさんとは聞いてるものの誰?って感じ。事務所に責任者と私と同僚3人で居た訳ですが、ドアをノックする音。すかさずうちの責任者が対応。偉いさんは顔覗かす事も無く、うちの責任者が事務所の外で挨拶だか何だか話している。普通偉いさんなら私達に顔見せるなり事務所に入ってくるなり。お疲れさんとか新年の挨拶とかしません?顔合わすなら当然ながら挨拶もするし不愛想にすることも無いんですけど、うちの責任者も外でその偉いさんらしき人達と話してるしわざわざ行って話の邪魔になってはいけないので同僚と事務所に居たんですが気が付けばそのまんま帰って行ったらしい。偉い人って現場の人の顔みたり嘘でもご苦労さんとか現場はどうですか?とか日々お疲れさん今年もお願いしますねとか言うんじゃないの?これは偉いさんじゃなくて偉そうにしてる人なんだなという印象。うちの責任者も偉い奴には媚び弱い立場の人間には偉そうに言ったり見下げるような奴なんで偉いさんが来たとなったらスッ飛んで行ってたな。まぁそれは良いとして
偉い人って末端の人にも気配りが出来たり常は関わり合いは無くとも営業所に挨拶しにきてるのなら顔わせて挨拶ぐらいするものじゃないのか。うちの責任者も○○さんが来られてるのでこっちに出てきてくれとか顔合わせ出来るように声かけるなり配慮すればよいのに。それでその偉そうな人達が帰ってから、何故お前らは出て来なかった?偉いさんだぞ!常識が無いだの、お前らは何を考えてるんだだの、普通はあーだのこーだの言ってきた。顔合わせてるのに無視とかしたなら言われても仕方がないが顔すら合わすような配慮も出来ない馬鹿に言われたくない。所詮は体裁とか外面ばかりなんだなぁと思う世の中そんなもんか。私は偉い人だからとか年下だからとか全然気にしないし人によって態度変えたりせず同じスタンスで人と接する方なので逆に偉いさんが来たからどうこうあまり気にしない。外面とか体裁気にする人ほど強い立場の人間に媚び立場の弱い人には偉そうに言う気がする。反吐が出る。まぁこんな感じだから私とは真逆。合うはずがない。それも分かってて飲み込み波風立たないようにしてるのがバカらしくもありストレスなんだよなぁ。まぁこれも収入の手段と割り切ってるものの積もり積もると素の自分が出そうで上手くガス抜きしないと怒鳴り散らす可能性もある。上手く自分をコントロールしなければ・・・ほんと疲れる。
愚痴みたいな話になりましたけど
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
2026年も宜しくお願いします。
新年あけまして おめでとうございます。
年末もブログ更新しないまま年も明けてしまい今日は5日ですね。
クリスマス前から仕事が忙しくクリスマスも取り敢えずケーキは食べたものの特別な事もないまま年末もひたすらに仕事で大晦日までみっちり仕事。元旦だけが唯一の休みで2日からまた仕事仕事!!今日も仕事だったけど今日は早く上がれたのでやっとブログ更新しようって事でPC前に座りました。忙しいって結構な事と言われたりしますが身体も心もしんどいです。余裕が無さすぎるのもねぇ。○○に出かけるとか〇〇をするとかそれ以前に疲れも溜まっててきて身体を休めたいしのんびりしたいのが先という感じ。これが本当の意味で貧乏暇なしというものだなぁと・・・
大きな夢は語りだしたら沢山あるけれど目先の手に届く現実的な欲求なら満たされそうなのでそちらを優先したい。そう言えば最近は忙しいのと年末年始で人も多いしって事でスーパー銭湯でサウナ三昧も御無沙汰になっている。身体の毒抜きとリラックスを兼ねてゆっくり汗流して自分自身の解放時間を過ごしたいんですけどね。世間は今日から仕事という方も多いし、まぁ通常の世の中の流れに戻りつつあるのかな?平日の私の休みは7日なので明日の仕事帰りか明後日の休みにサウナ三昧出来そうです。ちょっと一息出来るかなと小さな事ですけど現実的に欲求は満たせそうです。年末年始は全く特別感も無くただ毎日の延長で淡々と日が過ぎていったって感じです。年末ジャンボ宝くじも少し買って年末の楽しみとして元旦に見てみたがカスリもせず。現実に引き戻されて逆に元旦から怠さ倍増みたいなモヤモヤ感を年明け早々から感じ。少し家の中掃除して終わってしまった。そういえば年越し蕎麦も食べてないし明後日はサウナで汗流してから年越し蕎麦ならぬ新明けラーメンでも食うかな。取り敢えず自分の好きなように過ごすのが一番良い1日になりそうなので小さな欲求→大きな幸せ。色んな事に感謝しながら過ごそうと思う。この先また雪が降ったりインフルエンザが流行ったり大変な事も多いでしょうけど、せめて心だけは温かく過ごせれば良いかななんて思ってます。
皆様にとって良い2026年になります事、心より祈念致します☆彡
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これからもお気軽に御訪問、イイネ、コメント、頂けたら嬉しく思いますので
宜しくお願い致します!!